阿部芙蓉美の音楽について

阿部芙蓉美の音楽について。

阿部芙蓉美の音楽は、孤独をいつくしむ眼差しで溢れている。

本質的な相手の孤独を尊重して、自分の孤独を交えて互いを繋ぎ合おうとすることを諦めない強い意志も、彼女の音楽をすっくと貫いている。

では、彼女の音楽の魅力とはなにか。

まずはなんといってもその天稟の歌声だ。

北海道の稚内出身、と後から知ると妙に納得するが、その声は温度感を頻りに意識させる。その温もり、逆に発声される背景に潜む凍てついた空気のつめたさ。まるで阿部芙蓉美本人が雪国の街で歌っているのを彷彿させるような、優しく、けれど鋭く肉薄してくる声だ。

そして、心の切実を感じさせる歌詞とメロディー。

大切な存在への希求も、新しい季節の訪れに高まる胸も、純粋にもがく術ない青春も、すべてが真っすぐに鼓膜を震わせる。

阿部芙蓉美の音楽は、聴き手に何かを強いるということをまったくしない。泣くな、とも元気を出せ、とも前のめりに迫ったりしない。そこに、音楽の向こう側に居る彼女の優しさを感じる。ほんとうに人が変わるのは、明日を真っ新にできるのは、その人自身の内奥から光が差したときでなければ駄目だ。他人の励ましに依って人は立ち上がることはできない。杖だけが在っても筋力がなければ人は地に立つことが不可能なのと同じである。

彼女の音楽は自分の心を織りなす繊維を強く、しなやかに変化させる力を持っている。繰り返し、繰り返し聴いているうちに、いつの間にか涙が止まって、穏やかな凪いだ気持ちで乗り越えられた夜がある。曲を聴きながら、識らず識らず、私は自分自身の道を歩く訓練をしていた。

 

阿部芙蓉美は、自身を誇張して伝えない。心からの思いを、純粋に素直に歌う。たとえ背伸びしてみようかなと感じても、背伸びした表現ではなく、背伸びしたくなった今を描く。近頃、音楽はサブスクリプションや動画サイトで聴き手と出会う機会は非常に増えた。それ故、沢山の音楽がその場に溢れることになる。この状況で聴き手を引き寄せるには、他の楽曲より目に付く必要がある。とすれば、どうしても制作時に特異な表現を意識せざるを得なくなるのではないか。

そのような現在において、彼女の音楽は非常にナチュラルで稀有な存在だ。そしてこのナチュラルさこそ阿部芙蓉美の一番の強さであり、魅力だと思う。ありのままの心に手垢をつけず手渡すには、常に心の表皮を剥き出す努力が要る。背けたくなる想いから眼を逸らさぬ意志が要る。

造作なく歌われているようでいて、水面下には強い内省が働いている。

その内省が汲みだした心が、聴き手の胸を打つ。

心を揺さぶる歌は、真っすぐにこちらの目を見つめてやってくる。

彼女の音楽に出会って、私は自分の切実な慄えこそ人間として生きているなによりの証なのだということを知った。

 

流した涙が乾くまで、涙が光と成るまで、阿部芙蓉美の音楽は決して立ち去らない。