GRAPEVINE『指先』について

GRAPEVINEの名曲、『指先』。

喪失という事実を眼前に据えられた人間の、前向きな転換でも後ろ向きな拒絶でもない新たな出発の歌。

心の空白を別の存在を代置することで埋めず、空白に背を向けて他の対象を眺めることで忘却しない生き方、空白を身に感じて明日へと向かう生き方、遂に空白のなかに己を据える生き方を示されているように感じる。

 

人間は自分の中だけで語られる言葉を必ず所有している。

肉声と成ることの無い、深い沈黙の言葉。

そこで語られる言葉は、絶対に嘘の無い言葉である。

『指先』の歌詞は、作詞者の田中氏がこの地点で紡いだ言葉だ。

 

ありのままの思いは、他の人には歪な感情に映るのかもしれない。

だが、心と衝突しない言葉とは、必ず黙殺された領域を持っている。

『指先』は聴いていると決して他人事に耳を傾けているとは思えない、まるで自分が歌によって曝け出されたような気持ちになる。

それはこの曲が人間の心に対して誠実だからだ。

 

“何度も奏でて 色褪せて
悲しい程 繰り返そう
何も変わらなくたっていい
このままでいられる様
ここに突っ立てるよ”――GRAPEVINE『指先』

 

GRAPEVINEの作品と〈光〉という言葉は切っても切れない関係がある。

『指先』の歌詞に〈光〉というフレーズは出てこないが、この曲のテーマは喪失や空白から自分なりの光を見出す、再生の歌、GRAPEVINEにしか奏でることのできない〈希望の歌〉だと思う。

 

『指先』の描く未来、それは変わらないものを携えて生きていく人間の決意に胚胎する一条の光だ。